【高校野球】甲子園史に残る「あと一歩のところで涙を呑んだ投手」# 115

高校野球!

今回は甲子園史に残る、あと一歩のところで涙を呑んだ投手をご紹介!
素晴らしい投球を見せ、大記録達成まであと一歩のところで…
そんななんとも言えない悲劇に見舞われた投手の一戦を振り返る。

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20 COMMENTS

大名古屋金鯱軍、

これを見ると王貞治氏が延長無安打無失点を達成したのが如何に凄いかわかりますね。

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蛍号韋駄天

法政一vs境は、僕もリアルタイムで見てました。当時は、衝撃しかなかったです。改めて、大記録達成の難しさを感じた試合でした。

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安部有一

センバツで9回ノーヒットで散った投手といえば、第81回大会2回戦のPL学園の中野投手と第90回大会3回戦の彦根東の増居投手を思いだしますね。

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ミート

個人的に、1978年決勝で9回表までPLに2−0とリードしながら、逆転サヨナラを喫した高知商の松浦投手と1990年夏の決勝で、天理を最後まで苦しめながら0−1で破れた神谷投手を思い出します。

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haruto taniguchi

中学生の自分からしたら彦根東ー花巻東の試合もすごかったと思います。
彦根東エース増居が延長で初安打を打たれ、結果負けてしまいましたがよくあそこまで抑えてたなと思います。

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のりQ

2010年夏の大会、開星VS仙台育英。センターフライが上がり白根投手が勝利を確信したものの、センターが落球し勝利が逃げていった試合がありましたね。

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Kentaro

先発なら中京・木村投手(対宇部商)と彦根東・増居投手(対花巻東)を取り上げて欲しいです

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金田昌宏

自分的には、境VS法政一の試合が印象的でしたね。境の阿部投手が延長10回裏に法政一の末野選手に本塁打(法政一の初ヒット)を打たれてサヨナラ負けとなる、凄い試合でしたね。なかなか観れない試合でした。

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じょー

あと一歩で涙を呑んだではないけど、2011年の能代商業の保坂投手が印象的
広島の如水館にサヨナラレフト前打たれた時の膝から崩れ落ちても笑顔なのが印象的。
チーム全体で勝ち進んでる印象のチームなのにエースにあれだけ感情移入したのは初めて

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S Ysd

あと一球といえば、S51選抜 「ザ・ワンマンチーム」鉾田一の戸田投手。1回戦糸魚川商工にノーノー達成。2回戦は崇徳黒田投手に逆に8回までノーノーに抑えられるも0−0の8回裏、戸田自らのHRで先制。9回も、KKでツーアウト。3人目カウントツーストライクワンボールから放ったイージーな打球をファーストがトンネル。このあと連打、四球、最後は自ら飛球を落球して4失点でジ・エンド。

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takashi katayama

夏の大会だと、思いつく事例はこの2つですね。
選抜大会だと、88年の中京・木村投手(9回一死まで完全もその後逆転2ランを浴びてしまう)、09年のPL・中野投手(9回までノーヒットも延長に入ってから初ヒットをきっかけに2点を奪われ敗退)、18年の彦根東・増居投手(9回までノーヒットも延長に入って初ヒットも絡められサヨナラ負け)がありますね。

挙げられていた事例について、境ー法政一の試合は法政一の岡野投手が終盤、ライナーを右肘に受けるアクシデントもありました。サヨナラ弾を放ったのは捕手の末野選手、その末野選手は痛みを堪えて投げている岡野のために、その打席では一発狙っていたとのことです。

16年の中越ー富山第一戦ですが、富山第一はノーヒットながらも7回辺りからタイミングが合ってきてました。8回の強烈なライナーは、続く9回の布石になっていたと思います。

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克佳 玉井

こういった「悲劇」を招かないためには、後攻をとることが重要。
昨年夏の準々決勝 智弁学園VS明徳義塾の試合開始前、スコアボードに先攻明徳義塾、後攻智弁学園とあるのを見て、なんとなく智弁学園がサヨナラで勝つんじゃないかと予感が走ったが、その通りとなった。
サヨナラ負けは負けたほうには残酷で、特に記録達成を目前にしたそれは、まさに天国から地獄である。

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0422敦祉

あー甲子園で生で高校野球観たいなー
いつになったら見れるかなー
やっぱりこういう試合は生で観ないと…
ノーノーって長年甲子園観ててもあまり観ないですからね
松坂大輔の時も決勝は現地で生で観てなかったし

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トロフィー折れた

新潟ー富山は前回の日本文理ー富山商業は劇的な逆転サヨナラホームランで今回の中越ー富山第一はノーヒットノーランからのサヨナラでどちらも劇的な勝利でしたね。

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ka macchi

富山第一の試合は地元だけに観てました。この時のチームは左打者が多いせいか新チーム結成から極端に左投手に弱かったので、初戦のカードが決まった時点で打てないことは覚悟してました(笑)。しかもこのブロック、2回戦は広島新庄に堀投手、3回戦は木更津総合に早川投手と大会を代表する左腕が集中したとんでもなくエグいブロックでした(汗)
個人的には昭和62年の東海大山形vs徳山の一戦で徳山・温品投手が1-0で迎えた9回二死から打ち取ったピッチャーゴロを一塁に高投し、それをきっかけに2失点して2-1で敗れた試合が印象に残っています。

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maa maa

この試合覚えています。
でも、ノーヒットノーランやサヨナラホームランよりも、法政一の投手の球の遅さの方が印象に残っています。
単なる遅球ではなく、本当に遅い球でした。

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山田正

これもある意味「あと一歩のところで涙を呑んだ」と言える例として第64回選手権大会(1982年)の佐賀商・新谷博投手(のち西武)の例を。
1回戦の木造(青森)戦。新谷投手は9回2死まで93球、8奪三振で一人の走者も出さないパーフェクトピッチング。27人目の打者は1年生の代打。ところが2-1からの4球目にデッドボールを与えてしまい夏の大会史上初の完全試合は達成なりませんでした。新谷投手はその次のバッターをセカンドゴロに打ち取り、ノーヒットノーランを達成しますが「史上初の完全試合」まであと一人、ってことを考えるとこれも「あと一人で涙を呑んだ」例と言えるのでは

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中嶋英樹

境VS法政-校戦はテレビにかじりついて見てました。大記録達成の瞬間を見れると思ったら、まさかのサヨナラホームラン、勝負は下駄を履くまでわからんですな。選抜の中京VS宇部商戦も凄かったね。

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サルバドールサンチェス

法政一高の岡野投手って懐かしいですね。今は絶滅しつつあるアンダースローのエースですね。昭和時代は結構甲子園に来れたアンダースロー投手も左バッターが増えた事と走塁技術の向上で絶滅したのは時代の変化ですね🤔

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