【 剛腕 菊地 対 優勝候補 】昭和53年選抜 PL学園 対 印旛

高校野球!

菊池総 西田真二 木戸克彦 小早川毅彦

20 COMMENTS

茨城出身九州在住

一瞬、1981年の決勝戦かと思った。西川と佐藤の投げ合いでしたね。

返信する
Phd0628 TAKINDIZ

アマチュア史上最強チームの一つに数えられるソウル五輪代表チームの一人でもありますね!!

返信する
嶋映昭

評判の剛腕菊池投手だったのだが…
2年後、同じく秋関東を制した、東京農業大ニ高の高仁投手も、期待されながら、初戦で敗れてしまった…
そのまた2年後の上尾高の日野投手も(相手は箕島だったけど)かなりやると思ったけど、初戦で消えてしまった。

返信する
安江利至

平日の試合なのに、甲子園が超満員。当時の高校野球は国民的人気スポーツだったのですね。

返信する
chiro kazama

菊地投手はパンチ佐藤が社会人時代対戦した中で最も衝撃受けた投手と言っていた
あんなにコントロールいい投手見た事ないと

返信する
O.K

みなさんのコメント読ませてもらいました。懐かしいものばかりで、知らなかったことも沢山です。青春時代の名勝負の話し楽しいです。up主さんのおかげです。今回も本当にありがとうございます。しかし、凄いものの引き出しの多さにびっくりです。

返信する
北町貫多

この試合の前の東北-村野工業戦も映像があればお願いします。村野工業の変則左腕千田投手を見たいです。

返信する
石元正志

印旛の菊池、南宇和の田中と注目投手を倒したPL は春に強い箕島に敗れて、夏に優勝して雪辱しましたね

返信する
溝田直人志

前年の77年とこの78年
2年続けて春も夏も優勝投手が左腕。
この時代では珍しい。

返信する
溝田直人志

私のような初老には
選抜といえばやはり
色づいていない芝生です。
この数年後に
アメリカ産の芝生に張り替え
83年からは選抜でも
青々とした芝生になりました。

返信する
MasaTora2021

この頃の甲子園大会はヘルメットもボロボロになってのまま出ているチームもあった。公立校の予算でしょうか。

返信する
平原勝

菊池投手の映像があるとは!昭和53年だから関東No1で前橋が2位だったかな?桐生も出て桐生、印旛が優勝候補だったような。中京が出場辞退で東海No2の浜松商業が優勝でした。大混戦のいい大会でした!。

返信する
ティンタン

この中継は、鈴木文弥アナと光沢毅さんのコンビでしょうか?
田舎者は甲子園はNHKでしか見た事がありませんでした。
18時を過ぎても教育テレビでやってると凄く嬉しかったものです。

返信する
しげモン

蒲原監督が新聞記者を寿司屋に招待した時「オレは高級魚は嫌いでさ、鯖が一番よ」と。その毎日新聞の記事を読んだ私は鯖寿司、シメ鯖、鯖刺しが大好物になりました。単純な私😄

返信する
すみえふぐり

PLは、この選抜で、箕島に負けベスト8止まり、怒った鶴岡監督が、「お前ら全員殺してやる!」と地獄の練習で夏の優勝に繋げた。今ならこの発言は大問題。鶴岡さんは、あの南海の鶴岡一人さんの息子で法政大学出身、田淵、山本、富田ら法政三羽烏の一級上、山本浩二さんは。「いやあ、鶴岡さんはホント怖かった」

返信する

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA