昭和57年夏 高知商 対 安積商

高校野球!

津野投手が2年生

16 COMMENTS

Haou Seiso

巨人時代、”絶好調男”と言われた中畑清さんの母校。中畑さんの時代は甲子園出場はないですが、この3年前(昭和54年)に初出場します。この大会は3年振り二度目の出場ですが、県内では学法石川高校が圧倒的な力を持っていました。優勝インタビューでは田村監督が「100回戦って1回勝てるかどうかの相手」のような意味合いの言葉を残していました。どうも相手高校のY監督はよく言えば強気の采配となるのでしょうが、ただ闇雲に打たせるだけという印象がありました。翌年はリベンジを果たし二度目の甲子園出場を果たします。そして2勝しましたが、Y商の厚い壁に塞がれました。 2022.12.14 22:13

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山田正

高知商の谷脇監督、1978年夏の決勝で指示が選手にうまく伝わらず逆転サヨナラ負けを喫した経験から大きなジェスチャーで指示を伝えるようになりました

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橘賢

この3年前、安積商は初めて甲子園出場を果たしましたが、
その時の4番エースの根本学は注目の選手で当時はまだ珍しい右打者で右越えの本塁打を放っていました。
明石南相手に9回2死から追いつかれ、延長14回でサヨナラ負けを喫しました。
この試合ともども2回の出場は惜敗でしたね。

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大和尊皇子

この試合、レフトスタンドで見ていました。
1塁側アルプスの安積商業応援団が音楽に合わせて振る日の丸の旗が印象的でした。
高知商業のリリーフした津野投手は翌年の夏はエースで出場し準々決勝でKKコンビのいたPL学園に惜敗しました。
後に日ハムに入団することになります。

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溝田直人志

高知商の松本カオル選手
高知県大会ではなんと
16打数13安打の打率8割強。

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kenji8402

小さな大投手、安積商、母校の磐城と立て続けに甲子園に導いて名将の階段を登り始めた矢先に
何で道を誤ったのか。

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ちいいけ

安積の監督は11年前磐城高で小さな大投手として準優勝した田村さん。まだ20代なんですね!

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2 T

安積商業の監督は田村 隆寿さん。1971年の選手権準優勝の磐城高校の投手。監督としては甲子園で勝てなかったけど、福島では今も有名人。

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長崎中央

現在は帝京安積に高名が変わってますね。
当時は商業高校の出場が多いイメージがあります

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Phd0628 TAKINDIZ

予選で東日本有数の速球投手と噂の高かった学法石川・弓田を攻略してきた安積商の監督や選手をして、「あの球威にはびっくりした」と言わしめたのが、二年生・津野だったのですが、翌年の覚醒の片りんを見ることができますね。

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