ホームFilm & Animation1991年 高校野球秋季近畿大会ダイジェスト 2023年5月1日 SHARE ツイート シェア はてブ LINE Pocket 高校野球!黒田博樹 黒田哲史 安達智次郎 松井稼頭央 超貴重な映像 お宝映像19 COMMENTS kenji8402 2023年1月27日上宮時代、エースではなかった黒田君のピッチング映像は貴重。 返信する hagure3x3 2023年1月27日秋の近畿大会をMBSではなくABCがハイライトで放送していたとは。 当時の出場校を見ると現在でも甲子園で見るのは天理高校ぐらいですねえ。 返信する kenji8402 2023年1月27日この代の上宮が元木、種田のチームを超える史上最強チームだったけど、部内不祥事でセンバツ推薦辞退 となってしまって夏も予選敗退して甲子園出場してたら全国制覇も夢でないほんとに見たかった幻の優勝チームだった。 返信する ちいいけ 2023年1月27日これは貴重映像ですね。天理の監督は力が無いと謙遜してますが、超高校級の谷口投手引退後、次の世代であっさり近畿制覇、当時の天理は本当強かった。スポーツ刈りだったのも印象的です。 返信する 新マン 2023年1月27日皇子山球場に身に行きましたね。上宮-日高、PL-神戸弘陵を見ました。黒田投手、今岡選手がいたのですね。上宮は出場出来ていたら間違いなく優勝候補でした。西浦選手の強打ぶりが印象にあります。 返信する NAS 2023年1月27日この時の上宮の2番黒川は、智弁和歌山から楽天に行った黒川選手のお父さんです。 返信する ⚾️専門アマベーチャンネル 2023年1月27日黒田、岡島、松井メジャーリーガー。 育英ショートファインプレー現神戸中央 シニア山田監督。 返信する Ys 2023年1月27日日高の谷村投手は紀州のドクターKと呼ばれ、優勝した帝京に押し出し四球の1失点のみで惜敗。 返信する Angel 2023年1月27日これは貴重な映像。 まず上宮は、西浦、黒田、筒井の3人には気の毒だが、前監督の不祥事で推薦辞退。田中監督の元、翌年センバツ優勝主力の牧野、黒川はこの時からレギュラーだったのか。黒川は横浜戦サヨナラ打に、決勝ウイニングボール。 五條はこの頃強かったが、野球部よりサッカー部が先に全国へ。 平成初の選抜大会開幕戦に登場した日高は、ヘルメットが白だったはずが、1992年の選抜では黒だった。この近畿大会までは白だったのか。谷村、道本のバッテリーは、下宿していたと聞く。谷村は立命館でノーヒットノーラン。その息子は、中京大中京で2017年夏に出場したが、父子とも初戦敗退となった。日高の梅村監督は既に故人。 かたや郡山の森本監督は、ご存命。名物監督だから、あえて述べなくても。郡山は、2009年の森本監督退任後が奮わない。 5年ぶり甲子園を決めたPL学園、その間に入来、坪井がいた。児島が良い投球、のちに明治大学に進んだ鷲北のリードも良かった。今岡より印象にのこる。 栗東はこの頃強かった。少し後に八日市南も強かったが、甲子園には届かない。考えると40年間一定の成績を残しながら、まだ甲子園に出場していない大商大堺の精神力は凄い。 神戸弘陵は選手の喫煙で選抜辞退。この2年後に教員の給与未払い問題あったはず。12年ほど前に、生徒が通りすがりの者に殺害される悲報も。初出場の時の出口の先頭打者本塁打の印象が薄れた。初出場初試合先頭打者本塁打は、私神港(のち神港学園)も同じはずだが。 岡島、田口が奮闘した東山のユニフォームは、この大会までのが好きだった。選抜に出場することになって、たしか長谷部監督の筆による胸文字になったかと記憶しているが、私は前のが良かった。 村野工は、この4月から名前が変わるとか。エースの安達が故人というのも残念。本塁打連発の黒田と結婚する新山千春は、この時まだ小5だった。 大産大高は、大産大付に名前が変わってから、2005年選抜で漸く甲子園に出場したが、その時まで大阪桐蔭とはあまり差がなかった。すぐ後の夏に大阪桐蔭がベスト4に入ってからかなり差が開いた。 育英は衣川幸夫と大村直之がいた。衣川はのち近鉄からヤクルトに移るが、引退後にヤクルトに入った衣川篤史とは関係なかった。弟が1997年の選抜に出たはず。 八幡は、八幡商やラグビーで有名な八幡工に比べると地味だが、それを象徴するスコアに。 瀬田工は、初戦敗退ながら出場できる余地はあった。もしこの時出場できていたら、滋賀の勢力図の変化はなかったかも。昨年秋に久々の近畿大会ということもなかったかもしれない。栗東、八日市南と大津商も強かった頃だ。 天理は、前チームが全員3年生で、総入替全員2年生だった。小寺が特徴的な顔をしていた。西岡の少し変則的な投球フォーム。堀之内は、この大会でしか活躍していないのでは。峯岡、山本より福田が良い働き。島監督は2年のちにある問題から、森川監督に交代。森川さんも何度も辞任。天理は、不祥事が多いから。 南部も監督が既に故人。和歌山県は1994年からユニフォームに縦縞使用が認められ、和歌山初縦縞ユニフォーム第1号が南部。監督が東海大学出身だった。浜中治は入学時から縦縞だったが、縦縞ユニフォームで甲子園は2001年のみ。映像の選手たちは、縦縞とは無縁。 次の年の夏に出場する京都西は、全く奮わなかったが、1年生に良い選手が。東山の岡島、そして京都成章の倉、ついでに大家、それに北嵯峨の金とこの世代の京都は戦国。翌年の近畿大会では解説の林監督の八幡商を交えて凄いことに。 返信する 杉本幸生 2023年1月27日育英高校は神戸弘陵の不祥事によってセンバツ繰り上げ出場になりましたね。 返信する 紀州 2023年1月27日1:02コロナ・・・和歌山勢は暗黒時代で94年以降強い和歌山が復活したんよな! 返信する 熊野武内 2023年1月27日東山は、初戦で敗れたのに選ばれたんですね 返信する 前田敏弘 2023年1月27日東山の投手は岡島投手ですね 返信する 太郎牛 2023年1月27日松井の時? 返信する Dマッケイ 2023年5月1日谷村も谷本もええピッチャーやった。 返信する アマベーチャンネル 2023年5月1日黒田、岡島、松井メジャーリーガー。 育英ショートファインプレー現神戸中央 シニア山田監督。 返信する T 2023年5月1日黒田(広島)の高校時代の映像が現存するとは思わなかった もっと出番の無かった選手かと思ったら普通に戦力じゃないか 返信する 小川雅光 2023年5月1日この年の上宮のユニホームには首のラインがない 返信する まさ最高 2023年5月1日2:24 郵便番号3桁?5桁時代は知ってたけど 返信するコメントを残す コメントをキャンセルメールアドレスが公開されることはありません。 ※ が付いている欄は必須項目ですコメント ※名前 ※ メール ※ サイト 次回のコメントで使用するためブラウザーに自分の名前、メールアドレス、サイトを保存する。上に表示された文字を入力してください。 Δ
kenji8402 2023年1月27日この代の上宮が元木、種田のチームを超える史上最強チームだったけど、部内不祥事でセンバツ推薦辞退 となってしまって夏も予選敗退して甲子園出場してたら全国制覇も夢でないほんとに見たかった幻の優勝チームだった。 返信する
ちいいけ 2023年1月27日これは貴重映像ですね。天理の監督は力が無いと謙遜してますが、超高校級の谷口投手引退後、次の世代であっさり近畿制覇、当時の天理は本当強かった。スポーツ刈りだったのも印象的です。 返信する
新マン 2023年1月27日皇子山球場に身に行きましたね。上宮-日高、PL-神戸弘陵を見ました。黒田投手、今岡選手がいたのですね。上宮は出場出来ていたら間違いなく優勝候補でした。西浦選手の強打ぶりが印象にあります。 返信する
Angel 2023年1月27日これは貴重な映像。 まず上宮は、西浦、黒田、筒井の3人には気の毒だが、前監督の不祥事で推薦辞退。田中監督の元、翌年センバツ優勝主力の牧野、黒川はこの時からレギュラーだったのか。黒川は横浜戦サヨナラ打に、決勝ウイニングボール。 五條はこの頃強かったが、野球部よりサッカー部が先に全国へ。 平成初の選抜大会開幕戦に登場した日高は、ヘルメットが白だったはずが、1992年の選抜では黒だった。この近畿大会までは白だったのか。谷村、道本のバッテリーは、下宿していたと聞く。谷村は立命館でノーヒットノーラン。その息子は、中京大中京で2017年夏に出場したが、父子とも初戦敗退となった。日高の梅村監督は既に故人。 かたや郡山の森本監督は、ご存命。名物監督だから、あえて述べなくても。郡山は、2009年の森本監督退任後が奮わない。 5年ぶり甲子園を決めたPL学園、その間に入来、坪井がいた。児島が良い投球、のちに明治大学に進んだ鷲北のリードも良かった。今岡より印象にのこる。 栗東はこの頃強かった。少し後に八日市南も強かったが、甲子園には届かない。考えると40年間一定の成績を残しながら、まだ甲子園に出場していない大商大堺の精神力は凄い。 神戸弘陵は選手の喫煙で選抜辞退。この2年後に教員の給与未払い問題あったはず。12年ほど前に、生徒が通りすがりの者に殺害される悲報も。初出場の時の出口の先頭打者本塁打の印象が薄れた。初出場初試合先頭打者本塁打は、私神港(のち神港学園)も同じはずだが。 岡島、田口が奮闘した東山のユニフォームは、この大会までのが好きだった。選抜に出場することになって、たしか長谷部監督の筆による胸文字になったかと記憶しているが、私は前のが良かった。 村野工は、この4月から名前が変わるとか。エースの安達が故人というのも残念。本塁打連発の黒田と結婚する新山千春は、この時まだ小5だった。 大産大高は、大産大付に名前が変わってから、2005年選抜で漸く甲子園に出場したが、その時まで大阪桐蔭とはあまり差がなかった。すぐ後の夏に大阪桐蔭がベスト4に入ってからかなり差が開いた。 育英は衣川幸夫と大村直之がいた。衣川はのち近鉄からヤクルトに移るが、引退後にヤクルトに入った衣川篤史とは関係なかった。弟が1997年の選抜に出たはず。 八幡は、八幡商やラグビーで有名な八幡工に比べると地味だが、それを象徴するスコアに。 瀬田工は、初戦敗退ながら出場できる余地はあった。もしこの時出場できていたら、滋賀の勢力図の変化はなかったかも。昨年秋に久々の近畿大会ということもなかったかもしれない。栗東、八日市南と大津商も強かった頃だ。 天理は、前チームが全員3年生で、総入替全員2年生だった。小寺が特徴的な顔をしていた。西岡の少し変則的な投球フォーム。堀之内は、この大会でしか活躍していないのでは。峯岡、山本より福田が良い働き。島監督は2年のちにある問題から、森川監督に交代。森川さんも何度も辞任。天理は、不祥事が多いから。 南部も監督が既に故人。和歌山県は1994年からユニフォームに縦縞使用が認められ、和歌山初縦縞ユニフォーム第1号が南部。監督が東海大学出身だった。浜中治は入学時から縦縞だったが、縦縞ユニフォームで甲子園は2001年のみ。映像の選手たちは、縦縞とは無縁。 次の年の夏に出場する京都西は、全く奮わなかったが、1年生に良い選手が。東山の岡島、そして京都成章の倉、ついでに大家、それに北嵯峨の金とこの世代の京都は戦国。翌年の近畿大会では解説の林監督の八幡商を交えて凄いことに。 返信する
上宮時代、エースではなかった黒田君のピッチング映像は貴重。
秋の近畿大会をMBSではなくABCがハイライトで放送していたとは。
当時の出場校を見ると現在でも甲子園で見るのは天理高校ぐらいですねえ。
この代の上宮が元木、種田のチームを超える史上最強チームだったけど、部内不祥事でセンバツ推薦辞退
となってしまって夏も予選敗退して甲子園出場してたら全国制覇も夢でないほんとに見たかった幻の優勝チームだった。
これは貴重映像ですね。天理の監督は力が無いと謙遜してますが、超高校級の谷口投手引退後、次の世代であっさり近畿制覇、当時の天理は本当強かった。スポーツ刈りだったのも印象的です。
皇子山球場に身に行きましたね。上宮-日高、PL-神戸弘陵を見ました。黒田投手、今岡選手がいたのですね。上宮は出場出来ていたら間違いなく優勝候補でした。西浦選手の強打ぶりが印象にあります。
この時の上宮の2番黒川は、智弁和歌山から楽天に行った黒川選手のお父さんです。
黒田、岡島、松井メジャーリーガー。
育英ショートファインプレー現神戸中央
シニア山田監督。
日高の谷村投手は紀州のドクターKと呼ばれ、優勝した帝京に押し出し四球の1失点のみで惜敗。
これは貴重な映像。
まず上宮は、西浦、黒田、筒井の3人には気の毒だが、前監督の不祥事で推薦辞退。田中監督の元、翌年センバツ優勝主力の牧野、黒川はこの時からレギュラーだったのか。黒川は横浜戦サヨナラ打に、決勝ウイニングボール。
五條はこの頃強かったが、野球部よりサッカー部が先に全国へ。
平成初の選抜大会開幕戦に登場した日高は、ヘルメットが白だったはずが、1992年の選抜では黒だった。この近畿大会までは白だったのか。谷村、道本のバッテリーは、下宿していたと聞く。谷村は立命館でノーヒットノーラン。その息子は、中京大中京で2017年夏に出場したが、父子とも初戦敗退となった。日高の梅村監督は既に故人。
かたや郡山の森本監督は、ご存命。名物監督だから、あえて述べなくても。郡山は、2009年の森本監督退任後が奮わない。
5年ぶり甲子園を決めたPL学園、その間に入来、坪井がいた。児島が良い投球、のちに明治大学に進んだ鷲北のリードも良かった。今岡より印象にのこる。
栗東はこの頃強かった。少し後に八日市南も強かったが、甲子園には届かない。考えると40年間一定の成績を残しながら、まだ甲子園に出場していない大商大堺の精神力は凄い。
神戸弘陵は選手の喫煙で選抜辞退。この2年後に教員の給与未払い問題あったはず。12年ほど前に、生徒が通りすがりの者に殺害される悲報も。初出場の時の出口の先頭打者本塁打の印象が薄れた。初出場初試合先頭打者本塁打は、私神港(のち神港学園)も同じはずだが。
岡島、田口が奮闘した東山のユニフォームは、この大会までのが好きだった。選抜に出場することになって、たしか長谷部監督の筆による胸文字になったかと記憶しているが、私は前のが良かった。
村野工は、この4月から名前が変わるとか。エースの安達が故人というのも残念。本塁打連発の黒田と結婚する新山千春は、この時まだ小5だった。
大産大高は、大産大付に名前が変わってから、2005年選抜で漸く甲子園に出場したが、その時まで大阪桐蔭とはあまり差がなかった。すぐ後の夏に大阪桐蔭がベスト4に入ってからかなり差が開いた。
育英は衣川幸夫と大村直之がいた。衣川はのち近鉄からヤクルトに移るが、引退後にヤクルトに入った衣川篤史とは関係なかった。弟が1997年の選抜に出たはず。
八幡は、八幡商やラグビーで有名な八幡工に比べると地味だが、それを象徴するスコアに。
瀬田工は、初戦敗退ながら出場できる余地はあった。もしこの時出場できていたら、滋賀の勢力図の変化はなかったかも。昨年秋に久々の近畿大会ということもなかったかもしれない。栗東、八日市南と大津商も強かった頃だ。
天理は、前チームが全員3年生で、総入替全員2年生だった。小寺が特徴的な顔をしていた。西岡の少し変則的な投球フォーム。堀之内は、この大会でしか活躍していないのでは。峯岡、山本より福田が良い働き。島監督は2年のちにある問題から、森川監督に交代。森川さんも何度も辞任。天理は、不祥事が多いから。
南部も監督が既に故人。和歌山県は1994年からユニフォームに縦縞使用が認められ、和歌山初縦縞ユニフォーム第1号が南部。監督が東海大学出身だった。浜中治は入学時から縦縞だったが、縦縞ユニフォームで甲子園は2001年のみ。映像の選手たちは、縦縞とは無縁。
次の年の夏に出場する京都西は、全く奮わなかったが、1年生に良い選手が。東山の岡島、そして京都成章の倉、ついでに大家、それに北嵯峨の金とこの世代の京都は戦国。翌年の近畿大会では解説の林監督の八幡商を交えて凄いことに。
育英高校は神戸弘陵の不祥事によってセンバツ繰り上げ出場になりましたね。
1:02コロナ・・・和歌山勢は暗黒時代で94年以降強い和歌山が復活したんよな!
東山は、初戦で敗れたのに選ばれたんですね
東山の投手は岡島投手ですね
松井の時?
谷村も谷本もええピッチャーやった。
黒田、岡島、松井メジャーリーガー。
育英ショートファインプレー現神戸中央
シニア山田監督。
黒田(広島)の高校時代の映像が現存するとは思わなかった
もっと出番の無かった選手かと思ったら普通に戦力じゃないか
この年の上宮のユニホームには首のラインがない
2:24 郵便番号3桁?5桁時代は知ってたけど