東洋大姫路 野球部の歴史

高校野球!

兵庫県を代表する強豪・東洋大姫路。
かつて、甲子園に出場する度上位進出を果たしていた同校ですが、
近年は苦戦が続いています。
今過渡期にある、かつての名門・東洋大姫路の歴史を振り返ります。

26 COMMENTS

taka_kat

東洋大姫路と報徳学園、兵庫を代表する名門校ですが、この両校、両者ガチンコだった時は意外と少なく、片方が強くて片方が低迷だった、という印象あります。両校一騎打ちの様相だったのは85年くらいしか思い当たりません。
東洋大姫路もいつしか甲子園から遠ざかるようになってしまいましたね。2022年選抜に出場した時、それを感じました。
岡田体制になって、復権してくるでしょうか。

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信行 中筋

兵庫県姫路市出身の自分にとって、東洋大姫路は憧れの学校でした😊中学の先輩が甲子園に出た時には応援にも行きました😊

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片山博章

東洋大姫路は、アン投手なしで語れない。3年春の準々決勝花咲徳栄戦の引き分け再試合は一生忘れられない熱戦だった。指名漏れになって社会人野球に行ったがプロに行けずに引退。プロ入りした世界線も見てみたい。
寮ができ関西圏外からの入学者が増え厚みが増してきた。
2028夏の西兵庫大会は、社、明石商、姫路工、加古川北、東播磨と甲子園経験のある公立高校が控えており激戦必至である。

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【応援歌投稿者】アクリル水

日直松葉、竜党の私からすると嬉しいです。

サヨナラホームランによる優勝決定、kkコンビに勝利。
この高校も、昭和後期の甲子園を語る上で外せないチームだったんですね。

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走る男カラオケチャンネル

自分は東洋大姫路は1977年決勝戦当時1年生だったバンビ坂本投手が活躍した東邦を破って優勝した年とベトナム国籍ながら活躍したアン投手が活躍した年が印象残ってます。アン投手は現在も大好きな選手です。

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ウニオカシロヒゲ

原樹里は自分と同い年なので結構注目していた。
兵庫県は報徳学園、社、明石商業、神戸国際大付属などに加えてよくわからない名前の高校も上位に上がってくることもあるから、強化した東洋大姫路も勝ち上がるのが大変だと思う。

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hiroちゃん

来年のセンバツからバットが低反発製になる関係で各チームの打撃力は劣るかも知れませんが、同校OBの岡田龍生監督の手腕に因り今後更に打撃力は改善されると思われます💥↗️⚾。

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石元正志

東洋大姫路は夏の甲子園でただ一度の優勝ですが、他の春夏何度も優勝してる全国の強豪、名門校と同格に見てしまうんですよね。同じ兵庫県内のライバル奇跡の報徳が代名詞の報徳学園も、春夏連覇を二度達成した大阪桐蔭も、優勝する度にチームの大会記録を塗り替える強打の智弁和歌山も、戦後初の夏を二連覇した駒大苫小牧も、奇跡の逆転勝ちで何度もドラマチックに優勝したPL 学園や箕島も、夏春夏の三連覇を狙った法政二や池田も、夏に唯一の三連覇経験した中京大中京も、広商野球と呼ばれてスキの無い攻守で、夏の優勝回数全国二位の広島商も、夏将軍と呼ばれ、何度も夏の決勝戦で、伝説的なドラマを魅せて優勝を決めた松山商も、 共に春夏計4回全国制覇した近畿の老舗平安や浪商も、神奈川の二大巨頭の横浜や東海大相模も…過去どのチームも達成していない、夏の決勝戦でサヨナラホームランで優勝決めた唯一のチームのインパクトが強すぎるんですよね😅

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藤原鎌足の子孫

アン投手 いましたね。
センバツの鳴門工戦の1安打完封勝利のピッチングは圧巻でした。

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柴崎翔

自分は兵庫県在住ですが、お隣の大阪が大阪桐蔭と履正社の2強状態なのと異なり、東洋大姫路、報徳、育英、滝川二、神戸国際大附など様々な学校が浮き沈みを繰り返し、最近は戦力が充実した年の明石商や社などが急上昇してくるなど、何処かのチームが安定した強さを見せることが無いです。
(千葉の勢力図に近いかな?)

東洋大姫路も一時は低迷するも、それでも気がつけば兵庫大会の上位進出か、甲子園出場を果たせる強いチームに戻ってたりして、今なお兵庫県の高校野球を盛り上げてくれるチームですね。

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藤原鎌足の子孫

梅谷監督の後を継いだ井上監督は熱血漢タイプの監督でした。88年センバツにエース大崎を擁して出場しましたけど東海大甲府に惜しくも敗退。夏の兵庫大会は決勝進出しましたけど滝川二に敗退。90年夏も決勝進出したけど戎投手の育英に逆転負けでした。

東洋大姫路はその後、低迷期に入ってしまったけど、その数年後のチームでエースで6番だった選手は、実は私の兄の嫁さんの弟さんでした。兄夫婦は滋賀県に住んでいますけど、時々、弟さんは兵庫県から遊びに来ているみたいです。

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リプリーロケッツ

東洋大姫路で印象に残る試合と言えば、86年夏 第68回選手権 準々決勝の 鹿児島商高戦です。1-3で敗退 1-1で試合は進み 8回ですか 2死2塁から パスボールで2塁から一気にホームインされ勝ち越しを許しました…
1-3で9回 1死2 3塁 一打 同点 逆転のチャンスに 4番②山口が二ゴロ ⚾️は4→3で2死 2塁走者が2塁に帰塁するも⚾️3→6と送られ
2塁走者がアウトで試合終了
一度は塁審がセーフと判定しましたが 即 アウトと判定し直して…懐かしいです。

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クレイジーピエロ

堀口さんが3年だった1983年の東洋大姫路は、不祥事さえなければ全国制覇も夢じゃないチームだったらしいな

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輝き

次は明治神宮大会優勝記念ということで星稜高校をリクエストします
あそこは昭和から令和にかけて話題となるネタが豊富だからかなり盛り上がると思います

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平原勝

昭和52年選手権初優勝のエース松本正志投手覚えてます!控えの宮本賢治投手は甲子園でピッチャー返しを顔に受けてしまいほとんど投げなかったが亜細亜大学でエースになってプロでは松本投手よりも活躍されました。松本投手は阪急引退後今年までバッティングピッチャーや用具係の裏方さんを長年務められて今年勇退されました。

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ホンダシビックtypeR

東洋大姫路も岡田監督が就任したから久々夏の甲子園出場に期待

逆に履正社が岡田監督が辞任して一気に低迷するんじゃないかって当時言われたけどそれでも履正社も強さは健在(笑)

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リプリーロケッツ

昭和59年に🏟️甲子園球場のスコアボードが電光掲示板になりました。当事(得点) 校名が三文字までしか表記されず 長い校名ならなんて表記されると思い?
東洋大かなあ~東姫路かなあ~と思い 東洋姫と表記され観た自分は 何故か
渋いと思いましたね 後 東海大系は 例・東海大甲府→東海甲 東海大浦安→東海浦でしたね 現在は4文字表記ですね 懐かしい

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Kenturkey

小学生の頃、東洋大姫路が大好きでした!
一番印象に残っているのは昭和54年春の池田高校戦。
ワンサイド勝ちしていたのが最終回一点差に迫られた試合です。
雨の中、田んぼのようなグラウンドでボテボテの内野安打が続き
最後の1アウトがなかなか取れず、TVの前でドキドキしていました。

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石元正志

東洋大姫路は夏の甲子園でただ一度の優勝ですが、他の春夏何度も優勝してる全国の強豪、名門校と同格に見てしまうんですよね。同じ兵庫県内のライバル奇跡の報徳が代名詞の報徳学園も、春夏連覇を二度達成した大阪桐蔭も、優勝する度にチームの大会記録を塗り替える強打の智弁和歌山も、戦後初の夏を二連覇した駒大苫小牧も、奇跡の逆転勝ちで何度もドラマチックに優勝したPL 学園や箕島も、夏春夏の三連覇を狙った法政二や池田も、夏に唯一の三連覇達成した中京大中京も、広商野球と呼ばれてスキの無い攻守で、夏の優勝回数全国二位の広島商も、夏将軍と呼ばれ、何度も夏の決勝戦で、球史に残るドラマを魅せて優勝を決めた松山商も、 共に春夏計4回全国制覇した近畿の老舗平安や浪商や神奈川の二大巨頭の横浜や東海大相模、東京の両雄の日大三や帝京…と、過去どのチームも達成していない、夏の決勝戦でサヨナラホームランで優勝決めた唯一のチームのインパクトが強すぎるんですよね😅

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石元正志

08年の夏の甲子園で、東洋大姫路と報徳学園が揃って出場した時はワクワクしましたが、二校共に初戦敗退で、一勝もできなかったのは残念でした…😞

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大河原仁

東洋大姫路と言えば、私は簡単には「負けないチーム」のイメージですね。その象徴が固い守備と機動力野球で、梅谷監督&田中副部長コンビ(プラス大久保部長)の厳しい指導の賜物だったと思います。もっとも、それが1990年代と2010年代以降の低迷にもつながったような気がします………。

日直ですが、私ならば豊田&阿山にします。それよりも本人に大変失礼ながら、甲斐野の記憶がないのですが………。

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くまのるあん

’85,’86年の豊田・長谷川・嶋尾投手の頃熱くなっていました。
バッティングの良い小橋選手、山本選手が好きでしたね。

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石元正志

東洋大姫路は、雨天試合に強いんですよねw79年センバツの池田戦、82年夏の法政二高戦や熊本工戦にその他も見事に勝利してます。特に79年センバツの準々決勝の池田戦は、8-7のルーズベルト試合で、六点リードされて迎えた九回ウラの、池田のあわや同点まで迫った球史に残る、泥だらけの大反撃は忘れません😮

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