ホームPeople & Blogs1981高校野球1回戦 取手二 vs 鎮西 2020年9月5日 SHARE ツイート シェア はてブ LINE Pocket 高校野球!第63回全国高校野球選手権大会 昭和56年8月11日 甲子園球場 大会4日目第4試合 1回戦 取手二(茨城)-鎮西(熊本) #高校野球#取手二#鎮西15 COMMENTS 勇新一郎 2020年9月4日この対戦が取手二優勝の3年前にもあったことをすっかり忘れてました、鎮西がサヨナラで勝ってたんですね、鎮西高校は昭和にたまにいた素行マナーが恐ろしく悪いイメージ強い伝説のチームではありますが気合の入ったプレーは印象的で応援してましたね 返信する 小倉権蔵 2020年9月4日さべあ様。懐かしいカードありがとうございます✨🥎 意外と81年の取手二高対鎮西戦は、知る人ぞ知るみたいな感じですか。😅 この年の熊本県代表の大本命、園川投手擁する第1シードの九州学院が 問題発覚で県大会直前に出場辞退に追い込まれ、熊本工業も有力視されてましたが、まさかの三回戦敗退😢⤵️⤵️ 鎮西高が順当に勝ち上がり、まさか甲子園4強迄行くとは全く予想外でした❗️🥎 返信する 平井慎司 2020年9月4日このカードは3年後取手二が優勝🏆️した年で準決勝で対戦してボロ勝ちしてリベンジしましたね🎵木内さんが茨城の高校野球の歴史を変えたのが過言ではないです。 返信する 青笹博光 2020年9月4日岡本投手のゆったりとしたフォームが懐かしいです🙇 返信する Masa Takahashi 2020年9月4日ありがとうございます😊 この年では私は両校共全く無印でした。取手ニ高もこの頃までは、 勝ち進めない普通のチームと思っていました。 返信する トロフィー折れた 2020年9月4日鎮西と言えば京都商業戦の最後の一塁へのヘッドスライディングが印象的でしたね。 返信する gon taro 2020年9月4日この翌年に新入生が入学し、木内さんは常総への移籍を延ばしたといいます。そのメンバーが三年生になり全国制覇。この時に鎮西に準決勝で痛烈な雪辱を果たしましたね 返信する 眠い本能 2020年9月4日見ていたような気がするんだけど、細かいところは覚えてませんでした。 1回戦屈指の好カードは9回の表裏が全てだったんですね。 この年の茨城は日立工、鉾田一、下妻一などレベルが高いチームが揃い、秋春の関東大会でともに2校ベスト4に残りましたが、その中で頭一つ抜けた実績をもつ取手二は、印旛敗退の関東の繰り上げ大将くらいに祀り上げられてもいいくらいでしたが、当時の茨城は弱小ブランドでしたからね… 返信する 橘賢 2020年9月4日確かに84年の準決勝で対戦する前に対戦してましたね。 鎮西はこの試合でサヨナラ勝ちした勢いに乗って、その後は同じ九州勢に3連勝してベスト4まで勝ち上がったんですよね。 昭和後期から平成にかけて毎年のように九州対決がありましたが、ここ数年は見なくなりました。 返信する 三四三航空隊 2020年9月4日三年後の同一カードの鎮西二番手投手も確か岡本投手だったかと。そちらはメッタ撃ちされましたね。県大会、甲子園通じて初登板、しかも流れが完全に取手ニになってたから可愛そうでした。 返信する 茨城出身九州在住 2020年9月4日茨城勢は熊本勢をやはり苦手か?甲子園での対戦戦績は6勝1敗で熊本が「お得意様」にしています。この試合は熊本大会で打率5割の境の活躍でサヨナラ快勝。 返信する 島芳邦 2020年9月5日実況は、黒田昭夫アナウンサーです。 返信する 増田博之 2020年9月5日3年後に取手2高が雪辱‼️いい試合でしたね🙆また両校甲子園に来て欲しいですね☺️ 返信する feel1872000 2020年9月5日両チームとも昭和59年夏の印象が強すぎて、この時の試合が薄れてしまってます。しかし取手二ナインは個性的な雰囲気で、木内イズムの浸透していることが伺えます。 返信する marshiy22 2020年9月5日この当時、まだブレイク前の木内監督率いる取手二が3年後に優勝するなんて、 誰も考えなかったでしょうね。 地元の茨城県勢も当時、関東勢の中では山梨県に次ぐブービー的なポジションで、 春夏通じて初の8強への進出が、この年の春8強の日立工だったことを考えると…。 返信するコメントを残す コメントをキャンセルメールアドレスが公開されることはありません。 ※ が付いている欄は必須項目ですコメント ※名前 ※ メール ※ サイト 次回のコメントで使用するためブラウザーに自分の名前、メールアドレス、サイトを保存する。上に表示された文字を入力してください。 Δ
勇新一郎 2020年9月4日この対戦が取手二優勝の3年前にもあったことをすっかり忘れてました、鎮西がサヨナラで勝ってたんですね、鎮西高校は昭和にたまにいた素行マナーが恐ろしく悪いイメージ強い伝説のチームではありますが気合の入ったプレーは印象的で応援してましたね 返信する
小倉権蔵 2020年9月4日さべあ様。懐かしいカードありがとうございます✨🥎 意外と81年の取手二高対鎮西戦は、知る人ぞ知るみたいな感じですか。😅 この年の熊本県代表の大本命、園川投手擁する第1シードの九州学院が 問題発覚で県大会直前に出場辞退に追い込まれ、熊本工業も有力視されてましたが、まさかの三回戦敗退😢⤵️⤵️ 鎮西高が順当に勝ち上がり、まさか甲子園4強迄行くとは全く予想外でした❗️🥎 返信する
眠い本能 2020年9月4日見ていたような気がするんだけど、細かいところは覚えてませんでした。 1回戦屈指の好カードは9回の表裏が全てだったんですね。 この年の茨城は日立工、鉾田一、下妻一などレベルが高いチームが揃い、秋春の関東大会でともに2校ベスト4に残りましたが、その中で頭一つ抜けた実績をもつ取手二は、印旛敗退の関東の繰り上げ大将くらいに祀り上げられてもいいくらいでしたが、当時の茨城は弱小ブランドでしたからね… 返信する
橘賢 2020年9月4日確かに84年の準決勝で対戦する前に対戦してましたね。 鎮西はこの試合でサヨナラ勝ちした勢いに乗って、その後は同じ九州勢に3連勝してベスト4まで勝ち上がったんですよね。 昭和後期から平成にかけて毎年のように九州対決がありましたが、ここ数年は見なくなりました。 返信する
三四三航空隊 2020年9月4日三年後の同一カードの鎮西二番手投手も確か岡本投手だったかと。そちらはメッタ撃ちされましたね。県大会、甲子園通じて初登板、しかも流れが完全に取手ニになってたから可愛そうでした。 返信する
feel1872000 2020年9月5日両チームとも昭和59年夏の印象が強すぎて、この時の試合が薄れてしまってます。しかし取手二ナインは個性的な雰囲気で、木内イズムの浸透していることが伺えます。 返信する
marshiy22 2020年9月5日この当時、まだブレイク前の木内監督率いる取手二が3年後に優勝するなんて、 誰も考えなかったでしょうね。 地元の茨城県勢も当時、関東勢の中では山梨県に次ぐブービー的なポジションで、 春夏通じて初の8強への進出が、この年の春8強の日立工だったことを考えると…。 返信する
この対戦が取手二優勝の3年前にもあったことをすっかり忘れてました、鎮西がサヨナラで勝ってたんですね、鎮西高校は昭和にたまにいた素行マナーが恐ろしく悪いイメージ強い伝説のチームではありますが気合の入ったプレーは印象的で応援してましたね
さべあ様。懐かしいカードありがとうございます✨🥎
意外と81年の取手二高対鎮西戦は、知る人ぞ知るみたいな感じですか。😅
この年の熊本県代表の大本命、園川投手擁する第1シードの九州学院が
問題発覚で県大会直前に出場辞退に追い込まれ、熊本工業も有力視されてましたが、まさかの三回戦敗退😢⤵️⤵️ 鎮西高が順当に勝ち上がり、まさか甲子園4強迄行くとは全く予想外でした❗️🥎
このカードは3年後取手二が優勝🏆️した年で準決勝で対戦してボロ勝ちしてリベンジしましたね🎵木内さんが茨城の高校野球の歴史を変えたのが過言ではないです。
岡本投手のゆったりとしたフォームが懐かしいです🙇
ありがとうございます😊
この年では私は両校共全く無印でした。取手ニ高もこの頃までは、
勝ち進めない普通のチームと思っていました。
鎮西と言えば京都商業戦の最後の一塁へのヘッドスライディングが印象的でしたね。
この翌年に新入生が入学し、木内さんは常総への移籍を延ばしたといいます。そのメンバーが三年生になり全国制覇。この時に鎮西に準決勝で痛烈な雪辱を果たしましたね
見ていたような気がするんだけど、細かいところは覚えてませんでした。
1回戦屈指の好カードは9回の表裏が全てだったんですね。
この年の茨城は日立工、鉾田一、下妻一などレベルが高いチームが揃い、秋春の関東大会でともに2校ベスト4に残りましたが、その中で頭一つ抜けた実績をもつ取手二は、印旛敗退の関東の繰り上げ大将くらいに祀り上げられてもいいくらいでしたが、当時の茨城は弱小ブランドでしたからね…
確かに84年の準決勝で対戦する前に対戦してましたね。
鎮西はこの試合でサヨナラ勝ちした勢いに乗って、その後は同じ九州勢に3連勝してベスト4まで勝ち上がったんですよね。
昭和後期から平成にかけて毎年のように九州対決がありましたが、ここ数年は見なくなりました。
三年後の同一カードの鎮西二番手投手も確か岡本投手だったかと。そちらはメッタ撃ちされましたね。県大会、甲子園通じて初登板、しかも流れが完全に取手ニになってたから可愛そうでした。
茨城勢は熊本勢をやはり苦手か?甲子園での対戦戦績は6勝1敗で熊本が「お得意様」にしています。この試合は熊本大会で打率5割の境の活躍でサヨナラ快勝。
実況は、黒田昭夫アナウンサーです。
3年後に取手2高が雪辱‼️いい試合でしたね🙆また両校甲子園に来て欲しいですね☺️
両チームとも昭和59年夏の印象が強すぎて、この時の試合が薄れてしまってます。しかし取手二ナインは個性的な雰囲気で、木内イズムの浸透していることが伺えます。
この当時、まだブレイク前の木内監督率いる取手二が3年後に優勝するなんて、
誰も考えなかったでしょうね。
地元の茨城県勢も当時、関東勢の中では山梨県に次ぐブービー的なポジションで、
春夏通じて初の8強への進出が、この年の春8強の日立工だったことを考えると…。