1984高校野球2回戦 取手二 vs 箕島

高校野球!

第66回全国高校野球選手権大会
昭和59年8月13日 甲子園球場
大会6日目第4試合 2回戦
取手二(茨城)-箕島(和歌山)
#高校野球#取手二#箕島

15 COMMENTS

青笹博光

貴重な映像ありがとうございます🙇 この時代の公立の強豪同士の対決ですね。父親の運転中にラジオで聞いてたのを思い出します😅

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Masa Takahashi

ありがとうございます😊
岡田様に全く同感しています。
箕島のその後を予感させる試合。
寂しさを感じ。

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勇新一郎

84取手二伝説スタートとして扱われる試合ですが箕島の自滅、勝てる試合をみすみす落とした試合だと思います、取手二は確かに物凄い魅力的なチームでしたが箕島の雑で粗い戦い方は残念極まりない思いが今も残ります

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山本太郎

この翌年の春に智辯和歌山が甲子園初出場。紀伊の勢力図が変わった試合とも言えよう。

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岡田幸夫

また 失礼します
少し 涼しくなって 来ましたかね
この試合 は コメントしたいです
取手二は 強かったです PL に
勝って 優勝 印象深いです
ただ 半面 箕島の 敗戦
こんな 負け方 見た事がない
逆に こういう勝ち方 してたので
今 見ても ちょっと ショックかなと この後 箕島 なかなか 出場出来なくなって 茨城は 常総学院が 強豪に なりました
この試合は 時代の 変わり目
その後の 勢力図の 変化を 表した
試合のような気がしますね

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takashi katayama

この試合、立ち上がり取手二はミスもあってドタバタした印象。本来の箕島野球ならばこのような隙を上手く付いて一気に畳み掛けるはず。それが1点しか取れず。
逆に、8回の守備ではミスに一気に付け込まれました。

今にして思えば、相手の隙を逃さない箕島野球が既に崩壊してしまっていたのかもしれません。この後、智弁和歌山の時代が来て箕島が甲子園から遠ざかる事になったのも、偶然では無く必然だったのかもしれません。

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右門貧作

中島選手の犠飛で5点目を挙げた直後の映像にあるのは、デーブこと水戸商時代の大久保博元選手ですネ。
取手ニ高の選手達とは当時から現在も親しい付き合いがあるそうで、急逝された石田投手とは特に懇意にしていたそうで…

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茨城出身九州在住

大久保の水戸商業からライオンズ入団は西鉄ライオンズの豊田泰光以来。豊田は高卒ルーキー1年目のホームラン記録を持っていたけど、86年に清原に抜かれる。

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茨城出身九州在住

茨城代表校は雨に弱いというジンクスがありますが、箕島相手によく頑張りました。

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茨城出身九州在住

尾藤監督はこの試合の半年後ぐらいに茨城県の古河市に来ましたよ。何かの記念公演だったけど,,,,

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茨城出身九州在住

「あばれ馬」こと杉本(カープ、ドラフト一位)の速球をよく打ったな、下田。

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平井慎司

尾藤さんと木内さんとの新旧の名将対決がお互いミスを付け込んでしたたかな野球で味があり痺れた試合でしたわ。取手二が箕島を負かして後に勢い付かしたからこの試合がターニングポイントと言っても過言ではないと思ってますわ。

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茨城出身九州在住

取手二は箕島相手に雨に恵まれましたけど、水戸商業は南部相手に雨に泣きました。

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