ホームSports【伝説の粉砕】昭和60年春 2回戦 横浜 対 報徳学園 2020年10月16日 SHARE ツイート シェア はてブ LINE Pocket 高校野球!#高校野球 #報徳学園 #横浜19 COMMENTS 石の 拳 2020年10月16日この年だけでなく、鈴木尚典がいた89年や斉藤、多村、紀田という超高校級の選手を揃えた94年でさえ序盤で呆気なく敗れている。 最近の横浜を見てるとあの頃のイメージとダブるんだよな・・・ 返信する ゆうきち 2020年10月16日コメントにもありますが、この頃の横浜高校は選手のレベルはトップクラスなのに全国では何故か勝てなかった… 返信する 橘賢 2020年10月16日昭和から平成に変わるころの横浜は低迷期だった印象があります。 相川、恵津、部坂、横山といった好投手を擁しながら、1勝がやっとで時に大敗も喫していましたから。 この試合ではライトがほとんど動かなかった4回の高津の豪快な本塁打が印象に残っています。 返信する まろまろ 2020年10月16日報徳の黒ヘルは初めて見た 返信する blue club 2020年10月16日この年の夏の神奈川大会の決勝でも粉砕されたのを思い出します 相川投手は怪我で登板できなかったのですがノーシードの藤嶺藤沢が9点取って優勝しました 返信する chiro kazama 2020年10月16日渡辺監督曰く相川投手は愛甲以上のワルだったとか 返信する 新マン 2020年10月16日この年はタイガースが優勝した年。報徳の応援もタイガース調。報徳も一気攻撃を見せてくれました。見たかった試合です、有難うございます。 返信する narashino gogokakefu 2020年10月16日この試合を観ていて、決勝はPL-報徳だと確信しましたが、帝京戦は正にこの裏返しみたいでした。報徳は間違いなく81年より強かったと思いますし、東洋と共にレベルの高いチームでした。 返信する ラッシャーきむ 2020年10月16日間違えました。守備が乱れたのは初戦と帝京戦でした… 返信する 佐藤寿宣 2020年10月16日桑田・清原世代の横浜は全く記憶に無い…この相川と言う投手は顔が浪商の牛島にそっくりですね…😅 返信する saku sakuζ 2020年10月16日相川投手はこの試合を筆頭に後の春季関東大会、プロ入り後と炎上の印象が・・・ 返信する 松島亮二 2020年10月16日北原監督最後の甲子園ですかね? 返信する 中野渡洸紀 2020年10月16日横浜は愛甲を擁して優勝して以降松坂世代の春夏連覇まで、春夏通算9回の甲子園で1大会2勝はなし。初戦は4勝5敗と苦戦していました。ちなみに春夏連覇後は2008年夏まで初戦を突破すれば必ずベスト8以上まで勝ち進みました。 返信する ラッシャーきむ 2020年10月16日金村、大谷世代より潜在能力は上なのでは?新チーム結成以来、打率と失策がかなり少なかったのですが初戦とこの試合は守備が乱れに乱れましたね… 返信する sk Sk 2020年10月16日小倉清一郎さんがY校にいる頃の横浜は素質やセンスのいい選手が多くもそれなりのままでしたね 控えの斎藤投手が翌年は捕手転向してエースは高井投手(阪神)だったかな 返信する らんちくりんれいな 2020年10月16日サイン!コース教えるのは駄目。 返信する 三宅哲也 2020年10月16日報徳はこの後立て続けに不祥事を起こし低迷期に入る。 返信する まろまろ 2020年10月16日横浜高校はこの頃はボタンが下まであったんだな 返信する 勇新一郎 2020年10月16日愛甲と松坂大輔の間は横浜はなんとももどかしい脆いチームカラーが強かったですな、その期間を象徴する試合 返信するコメントを残す コメントをキャンセルメールアドレスが公開されることはありません。 ※ が付いている欄は必須項目ですコメント ※名前 ※ メール ※ サイト 次回のコメントで使用するためブラウザーに自分の名前、メールアドレス、サイトを保存する。上に表示された文字を入力してください。 Δ
石の 拳 2020年10月16日この年だけでなく、鈴木尚典がいた89年や斉藤、多村、紀田という超高校級の選手を揃えた94年でさえ序盤で呆気なく敗れている。 最近の横浜を見てるとあの頃のイメージとダブるんだよな・・・ 返信する
橘賢 2020年10月16日昭和から平成に変わるころの横浜は低迷期だった印象があります。 相川、恵津、部坂、横山といった好投手を擁しながら、1勝がやっとで時に大敗も喫していましたから。 この試合ではライトがほとんど動かなかった4回の高津の豪快な本塁打が印象に残っています。 返信する
narashino gogokakefu 2020年10月16日この試合を観ていて、決勝はPL-報徳だと確信しましたが、帝京戦は正にこの裏返しみたいでした。報徳は間違いなく81年より強かったと思いますし、東洋と共にレベルの高いチームでした。 返信する
中野渡洸紀 2020年10月16日横浜は愛甲を擁して優勝して以降松坂世代の春夏連覇まで、春夏通算9回の甲子園で1大会2勝はなし。初戦は4勝5敗と苦戦していました。ちなみに春夏連覇後は2008年夏まで初戦を突破すれば必ずベスト8以上まで勝ち進みました。 返信する
sk Sk 2020年10月16日小倉清一郎さんがY校にいる頃の横浜は素質やセンスのいい選手が多くもそれなりのままでしたね 控えの斎藤投手が翌年は捕手転向してエースは高井投手(阪神)だったかな 返信する
この年だけでなく、鈴木尚典がいた89年や斉藤、多村、紀田という超高校級の選手を揃えた94年でさえ序盤で呆気なく敗れている。
最近の横浜を見てるとあの頃のイメージとダブるんだよな・・・
コメントにもありますが、この頃の横浜高校は選手のレベルはトップクラスなのに全国では何故か勝てなかった…
昭和から平成に変わるころの横浜は低迷期だった印象があります。
相川、恵津、部坂、横山といった好投手を擁しながら、1勝がやっとで時に大敗も喫していましたから。
この試合ではライトがほとんど動かなかった4回の高津の豪快な本塁打が印象に残っています。
報徳の黒ヘルは初めて見た
この年の夏の神奈川大会の決勝でも粉砕されたのを思い出します 相川投手は怪我で登板できなかったのですがノーシードの藤嶺藤沢が9点取って優勝しました
渡辺監督曰く相川投手は愛甲以上のワルだったとか
この年はタイガースが優勝した年。報徳の応援もタイガース調。報徳も一気攻撃を見せてくれました。見たかった試合です、有難うございます。
この試合を観ていて、決勝はPL-報徳だと確信しましたが、帝京戦は正にこの裏返しみたいでした。報徳は間違いなく81年より強かったと思いますし、東洋と共にレベルの高いチームでした。
間違えました。守備が乱れたのは初戦と帝京戦でした…
桑田・清原世代の横浜は全く記憶に無い…この相川と言う投手は顔が浪商の牛島にそっくりですね…😅
相川投手はこの試合を筆頭に後の春季関東大会、プロ入り後と炎上の印象が・・・
北原監督最後の甲子園ですかね?
横浜は愛甲を擁して優勝して以降松坂世代の春夏連覇まで、春夏通算9回の甲子園で1大会2勝はなし。初戦は4勝5敗と苦戦していました。
ちなみに春夏連覇後は2008年夏まで初戦を突破すれば必ずベスト8以上まで勝ち進みました。
金村、大谷世代より潜在能力は上なのでは?新チーム結成以来、打率と失策がかなり少なかったのですが初戦とこの試合は守備が乱れに乱れましたね…
小倉清一郎さんがY校にいる頃の横浜は素質やセンスのいい選手が多くもそれなりのままでしたね
控えの斎藤投手が翌年は捕手転向してエースは高井投手(阪神)だったかな
サイン!コース教えるのは駄目。
報徳はこの後立て続けに不祥事を起こし低迷期に入る。
横浜高校はこの頃はボタンが下まであったんだな
愛甲と松坂大輔の間は横浜はなんとももどかしい脆いチームカラーが強かったですな、その期間を象徴する試合