【伝説の粉砕】昭和60年春 2回戦 横浜 対 報徳学園

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19 COMMENTS

石の 拳

この年だけでなく、鈴木尚典がいた89年や斉藤、多村、紀田という超高校級の選手を揃えた94年でさえ序盤で呆気なく敗れている。
最近の横浜を見てるとあの頃のイメージとダブるんだよな・・・

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ゆうきち

コメントにもありますが、この頃の横浜高校は選手のレベルはトップクラスなのに全国では何故か勝てなかった…

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橘賢

昭和から平成に変わるころの横浜は低迷期だった印象があります。
相川、恵津、部坂、横山といった好投手を擁しながら、1勝がやっとで時に大敗も喫していましたから。
この試合ではライトがほとんど動かなかった4回の高津の豪快な本塁打が印象に残っています。

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blue club

この年の夏の神奈川大会の決勝でも粉砕されたのを思い出します 相川投手は怪我で登板できなかったのですがノーシードの藤嶺藤沢が9点取って優勝しました

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新マン

この年はタイガースが優勝した年。報徳の応援もタイガース調。報徳も一気攻撃を見せてくれました。見たかった試合です、有難うございます。

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narashino gogokakefu

この試合を観ていて、決勝はPL-報徳だと確信しましたが、帝京戦は正にこの裏返しみたいでした。報徳は間違いなく81年より強かったと思いますし、東洋と共にレベルの高いチームでした。

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佐藤寿宣

桑田・清原世代の横浜は全く記憶に無い…この相川と言う投手は顔が浪商の牛島にそっくりですね…😅

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saku sakuζ

相川投手はこの試合を筆頭に後の春季関東大会、プロ入り後と炎上の印象が・・・

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中野渡洸紀

横浜は愛甲を擁して優勝して以降松坂世代の春夏連覇まで、春夏通算9回の甲子園で1大会2勝はなし。初戦は4勝5敗と苦戦していました。

ちなみに春夏連覇後は2008年夏まで初戦を突破すれば必ずベスト8以上まで勝ち進みました。

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ラッシャーきむ

金村、大谷世代より潜在能力は上なのでは?新チーム結成以来、打率と失策がかなり少なかったのですが初戦とこの試合は守備が乱れに乱れましたね…

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sk Sk

小倉清一郎さんがY校にいる頃の横浜は素質やセンスのいい選手が多くもそれなりのままでしたね
控えの斎藤投手が翌年は捕手転向してエースは高井投手(阪神)だったかな

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勇新一郎

愛甲と松坂大輔の間は横浜はなんとももどかしい脆いチームカラーが強かったですな、その期間を象徴する試合

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